ケイサンブログ

デジモン好きなムシがお送りする、デジモンだったり違ったりな徒然日記。

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いまっさらなっがらー。

 
随分と前に読了し書いた、本人も本の内容とそれに伴い記述した内容を覚えていないような「邪魅の雫」の感想でござい。忘れていたはいいものの掘り出したもんで載せておりますが、当人読み返してみてもポカーンみたい、な。なはは。どんだけ放置してたんだホント。

 それでは以下より。
 例によってネタバレにはお気をつけ下さい。

 読みながらずっと感じていたのは、なんとも言えない「据わりの悪さ」でした。犯人は確実にいるし、恐らくこいつだろうという奴の心理描写なり言い訳なりはちゃんとかいま見ることができる訳で、しかし――やはり、どこにハマるのかが分からない。例えばパズルをやっていて、絵柄を見るにここら辺だろうと予断をしつつ、けど見当の場所にはハマらなくってむしろ違ったところと組み合っちゃう、みたいな。本編でも語られていますが、バラバラの動機そのものが勘違いだったりする。更に言えば、警察の側でも混乱があったり――命令だったり出来事の解釈にソゴがあったりする。やっぱり据わりが悪い。
 そういう意味では、言葉や世界や世間なんていうものを1度切り離して混線を直して繋ぎ直してくれる、京極の手法はとても有効だったのでしょうが……いかんせん、登場が遅かった。むしろ最初から登場してしまっていたらお話が成り立たないだろうな、という身も蓋もない事を思いつつも、やはり山下さんを初めとして「もう少し早く」と思う人々のことを考えると……!
 山下さんというお名前が出てきたのでそっちに行くのですが、今回は警察の方が沢山出てきましたな。それも益田君やら。青木君というファクターを通している故か、自分なんかも旧知の仲みたいに錯覚してみたりして。
 今まではその警察組織に木場修やら青木君やら益田君やら山下さんやら石井さんやらいたけれども、彼らを通した上での警察というのはなんだか、「自分はこうしたいんだけどそうは動けない」(=障害)という印象が強かったり。今までを振り返るに、榎さんが蹴り飛ばしたり殴り倒したり、関君が疑われたり関君が疑われたり関君が疑われたりと色々合った所為か、なんとなく敵方のように思っちゃってた警察組織の方々と、ようやく協力関係になれたなぁ、という思いがします。渋い男達の作戦会議もあったりして、個人的にはニヤリ。あ、ちなみに自分の中でオモランキは除外してます。あれは関君と伊庭さん個人間での意志疎通ができた安心感、みたいなとらえ方をしとるので。

 そして据わりの悪さと共に、せわしなさも感じてみたり。元々1人称――誰かからの視点からの描写の多い百鬼夜行シリーズですが、今回は更に多いのかと。警察側ではお馴染み青木君、薔薇十字団からは益田君。毎度お馴染み不幸な小説家さん。大鷹。江藤。西田さんに――神崎さん。あちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しかったし、その分様々な視点から事件をチラホラと眺めて、よけいに全貌が分からなくなったような。違う世界・世間なのに、すべて同じ概念で読みとこうとしてたからなんでしょうね。京極堂は調べたとはいえ――その発想へ行くのが凄い。いや、むしろ彼はそういう事がないようにできるだけ情報を集めるのでしょうけれども。関君の話であれ西田さんの話であれ、最後まで聞き届けて望むのならば誤っているところ(望むことに対してのその姿勢・認識の誤差というか)を正してくれるというのが凄く好きです。
 関君は人間が大好きなんだろうな。そして大嫌いなんだろうな。むしろ大事すぎてしまって、どう扱ったものかと慎重になりすぎて訳が分からなくなっていそう。なんて事を考えてました。

 そういえばこっちは本編だった、というのもあり。そして本編でこちらの前の話といったらばオンモラキ。1つ飛ばすと塗り仏ということもあり。展開的に堂島さんがいつ出てくるかいつ出てくるかと冷や冷やしていたのはここだけの秘密です。わっはっは。
 京極も「あの男」と臭わせる程度でしたが……あぁ、なんであれ絶対に無関係、という訳ではないのかな。毒を作らせていたのは彼でした、か……?(そこ曖昧なんか)

 榎木津さんがな。榎木津さんがな……今回はそんなに出なかったけれど……ぐほぁ……。
 今回の彼は楽しそうじゃなかったっすね。いつも通りの罵倒ぶりだったし破天荒だったけれど、「わははははっ」がなかった……。「帰ろうかな」という一言は、ちょっと彼っぽくないなとは。榎木津はいつも断言するというイメージがあって、なんにもなかったら「帰るぞ!」だろうなとか。
 そもそも榎さんはどうして現場に現れたんでしょうね。具体的な事は語られませんでしたが、おそらくは神崎さんのためで……百鬼夜行で心理描写をされない、否、しちゃいけないキャラの中で京極と榎さんはその筆頭に上がると思うのですが、だからこそ計り知れないっつーか。私なんかが心配だと言ったらばののしられるのでしょうが。ふはは。心配、だったなぁ。榎さんは人を使っても人と協力しても、頼らない、様な気がするのですよ。自分で決着をつける、のかな。また……あれでついた、のかな。

 益田君が榎さんに「自分の決着は自分で~」と言われて調子を取り戻すシーンは個人的に印象的でした。今思い返すと榎さんは自分に向けても言っていたのか……? と思いつつ。そうだよな、自分の認識を見誤るから苦しくなるんだよな。神崎さんは恐らくそれをしたくない(=榎さんと同等の存在ではないというのを)最後まで認めたくなかったのでしょうが……。多分それは、相手が榎さんだったからではなくて、自分とそれ以外の存在全てに当てはまること。自分という存在を、大きすぎるんでも小さすぎるんでもなく、正邪というのでもなく――難しいし全てではないけれど、少しでも分不相応な認識ができる様になれば、とか。
 天狗になりたい訳ではなく自分には自信がなさすぎる(すぐ無意味に萎縮する)気がするので、関君みたいに背中丸めるよかせめてまっすぐ立てるぐらいの努力っていう証を積み上げて少しでもその気になればとか思いつつ基本モノグサだから(ry)
 自分の価値を下げてみる――自分は自分をこんな風に見てるんですよ所詮大したもんじゃないでしょむしろ出来損ないだっていう態度をとるのは、自分が言った以上の事を言われないっていう盾にも槍にもなり得るけれど。時と場合によっては相手に失礼だったりする事もある……と、どこかの小説で(蹴)

 邪魅の講釈はあまりでてこなかった、つか前回だって今回だって関君がちらりと妖怪の名前を口にしただけ……でしたが。その代わり、というか京極の過去関わっていた人達の名前が挙がるようになってきましたな。京極が語らない、明かされないと言うのは気になるもんで。一方では、彼が語らないとするとその蓋を開けてしまったらなにが待っているのか、という怖さもあり。とりあえず堂島さんは塗り仏の最後の最後で出てきた黒幕だった訳っすが……京極堂があそこまで言うということは……すんげぇ人なんだろうな、色々、と。

 読み終わってまたページを戻り、表紙をめくって目に入る文章。それと、最初は誰の視点か分からなかった心理描写。ネット上では難しいだろうだろうな、とまず先に思ったのはそこなんですが。こうして残せる余韻、というのも好きです。巻末ではあまり意識してなかった「開いた窓」がここに来るか……!

 そしてここからは、今の自分が書いております。今というのは結構昔に書いた文章を見つけだして、こうしてブログへと移している自分――と、時間軸で考えるとそうなりますか。なんかややこしいけれえど。
 んでもってこの文章はかなり前の物であって、それにまた付け加えるという形で書いているので、ここから先の一部分はもしかしたら、どこぞでこぼしてる内容かもしれませんが。

 この小説に出てくる関口君。小説家という設定で、今回冒頭で、自分の作品に対する他人の評価というのを、とても気にしている風だったのです。それをボソボソと、京極堂に相談するんだけれども。その内容に、当時読んでいた私は心救われる思いでした。
 答える京極堂曰く、人の評価など気にするな。作品に対する評価など、元になる作品がなければ書けない時点で二次創作然としているではないか。そんなモノ評価、読んでいて楽しいか否かくらいしか大差はないのだと。どうせ書き手の言いたいことなど、それを読む者には決して全て読み解くことなどできないのだから。だから、気にするだけ無駄なんだと。
 その件に、私は感想の書き手として、肩の荷が降りる気がしたのです。当時の自分の感想ったら長いったらなかった。例えばその作品を読むのに1時間かけるとして、45分はかけて感想を書いていたような気がします。物語の紡ぎ手に失礼のないようにだとか、だいたいはそんな思いを抱いて。ここでいう失礼のないようには=短い感想は失礼だ。という訳ではなく、私がその物語に対して読みこぼしているところがあるんじゃないか、という思いです。だからどの作品も、楽しんではいたけれど、全力疾走している心境で読み、感想を書いていました。
 反面、疲れてしまっていました。
 まだ大勢の仲間がいれば違ったかもしれない。けれども感想の書き手なんて、あそこにいたっては数える程しかいなくって。隣合って走る者のない無限マラソンは、それはもう心細かった。どこに走ってんだよおれは、みたいな不安感。それから、走ってる意味なんてねえじゃんか。そうとも思った。
 当時、の話ですよ。当時の話。
 けれども先の「感想だって二次創作」っていうのを聞いて、読み手にはどうせ書き手の書いた全てを理解することはできないんだよ、という文章を読んで、「あぁ、頑張ったところで無駄なのか」なんて思えて。肩の力を抜けました。だったらその抜けた分の力を、今度は「二次創作として」、読んでくださった人にとって、少しでも楽しいように、自分にとっても楽しいように、を目指して、今は感想を書いております。

 と、いうお話でした。
 自分が楽しむ――良くも悪くも遊びなんだから、全力で執筆された皆さんの小説を、私もまた全力で、楽しむ為。今後もNEXTにお邪魔できたらいいなと思っております。

 けれどけれど、良くも悪くも遊びなので、足を運ぶのは恐らく、気が向くまま風が吹くまま、ですよふふふ。
 だけどだけど、その代わり、読んだ作品には必ずしも、感想というなの二次創作をさせていただきたいと思っております。へっへっへ。

 そーいや私が感想を書いていた理由、きっかけになったのは、デジモン小説で尊敬する方の「読んだ作品には必ず感想を書きますよ。だって、自分がもらったときにはうれしいじゃないですか」という言葉があったのですが、今はまったく違いますな。
 なんだろう、尊敬する人に関してはずっとその人を模倣するもの――その後を追いつけ追い越せと同じ道を行くものだと思っていたのですが、実際にはそういうわけでもないのです、ね。
 その方がいう理由はなるほどと同意することはできるんだけれども、自分が動く理由はそうではなくなってしまった、というのがなんだか不思議な心境のような、そうでないような。
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