ケイサンブログ

デジモン好きなムシがお送りする、デジモンだったり違ったりな徒然日記。

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一夜漬け。

 
 今のNEXTについて。
 自分が思う事の纏めというか、なんとういうか。整理整頓のされていない、感情の羅列になってしまうかもしれないけれど。文章にしようとあれやこれやしている内に、思考のもっと深い所に気付けるかもしれない。なんて思ってみたりして。
 独り善がりになると思います。
 傲慢な考えが含まれる事も、現時点で自覚しています。
 この記事に目を通された方が、それに対して反論して下される。とても有りがたい事と受け入れます。
 しかし、気分が悪くなった――となった場合、私はそれを解決術を持ちません。

 無責任な記事ではございますが……進まれるという方はお気をつけて。

 あ、一言掲示板等について語っている訳ではございません、とだけ前置きさせて頂きます。


■11/3 少し追記しました。
 「執筆する」
 「そこに感想がある」
 これは当たり前のことではないし、執筆する事の醍醐味や楽しみが全て感想に起因する訳ではない。執筆に置ける喜びは感想を頂く事に「も」通じるのであって、必ずしもイコールではない。理解しています。
 が、「今は」なんです。
 私は、今、自分の手によって如何にキャラクター達を動かしてやるか。自分が綺麗だと思う景色をどう描くのか。それらに腐心する事自体が楽しいと思えるようになっています。
 今もね、この記事書くか執筆を続けるか凄く迷ってたくらいで(蹴)
 しかし、初めての頃はとても人の目が気になるではないですか。……今だってまったく気にならないと言ったら嘘になります。けれど、「感想が無い=落ち込む」という事はなくなりました。ただ、「感想がある事を喜べる」ようになりました。+は+に受け取っても、±0の事を-に受け取る事はなくなりました。
 でもやっぱり、始めての頃は怖かったです。自分の作品に感想がないという状況が。ただそれだけの事なのに、押しつぶされてしまいそうなくらい辛かった。
 つまらなかったのか。見てすら貰えていないのか。「なにもない」という状況は、自分で勝手に世界を創造出来ちゃうんです。
 初心者なのにも関わらず連載という選択をしてしまって。いや、短編という考えすらなかった自分。ただ物語を作る事に一生懸命で、目の前しか見えなくて。最後まで書きあげると決意して――いたにも関わらず、やはり心折れそうになったというか……去年の8月上旬は、ただ自分の記事だけを表示するモニターを凝視して、ドグドクと心臓が脈打つ音がうるさい、なんて思っていたのを覚えてます。見てるからって、更新ボタンを押したからって、感想がつく訳がないのにね。
 だから、今の私があるのは皆さんの暖かいお言葉のお陰なのです。あの時の交流が無かったら――私は今ここにいる自身がありません。
 そんな事で終わってしまう人は、そこまでなんだよ。
 そう言われたら反論できません。しかし執筆する喜びを知った今、知らずに折れてしまっていたらとても残念だった、と思うのです。
 ありがとう、はまぁ素直なムシクイだから。その都度ちゃんと伝えてるけどな(蹴) 改めて口にさせて下さい。ありがとうございます。

 だから、というか。「オリジナルデジモンストーリー掲示板」という場所は、そういう暖かい場所であって欲しいと思うのです。
 別に文章表現を競う――切磋琢磨する、プロになる事を前提にする――場所ではないんですから。感想の内容に上手い下手とかないじゃないっすか。面白かったら面白かったで良いじゃないですか。その一言があるかないかだけで、モチベーションは段違いだと思うのです。
 だから、感想を表現する方は――素直に想った事、感じた事を文章にすれば良いんじゃいですかね。なんて。その文章にするという作業が……大変なのかもしれませんが。

 うん。まぁぶっちゃけ自分は大変だと思ってます。特にシリアスなシーンで「待て次回!」な展開になった作品なんかは、キャラ達の心中を思ってとても一杯一杯だったり。正直辛い。
 で、その感覚を文章表現にしようとして反芻する。やっぱり辛い。更に言うと、重い。
 決して交流したくない、という訳ではない。想いを伝えるつもりがなくなったのではない。その作品に対して、負のイメージを持ってしまった訳ではない。けれども感動して、胸が一杯一杯で、辛い。そんな感じ。
 けれど、なにも思わなかったかと言えば違う訳で。その気持ちを「伝えたい」と思えばこそ指を動かして――あぁ、やっぱり意識の違いなのですかね。感想を書く方と、書かない方。
 うん、まぁ。読者としては「面白い」と思えればそれで良いんですよね作品は。漫画や小説やテレビや映画や――そういった作品は、「面白い」と思ってそれで終わり。ただし知ろうとしなければ分からないだけで、製作者サイドには良くも悪くも「反響」はあるのかもしれませんが(「素晴らしかった!」という賞賛や「こんなもの流すな!」というクレーム含む(テレビを一例として)
 それで、それを表現する方としない方がいて。表現する方の気持ちは少なからず目にできるけれども。しない方の気持ちは伺えない。
 けれど伺えないだけで、面白いなら面白いと思っている事に代わりはない訳で。
 その見えない部分をどう捉えるのか。「希望的観測で動くのはヤッパリ辛くね?」とゲッペルさん的に思ってしまうか、それとも「見えないだけで皆さん応援して下さってる筈!」と、どこまでも信じて突き進むか。
 どっちも、過ぎれば危険そうですね。

 なんだか感想ありきで話が進んでいるというか――むう。
 なんというかですね、私。感想書くの止めようかななんて思ってたりするのですよ。だってぶっちゃけメンドクサイです。私の感想が長めなのは御存知の方ならば御存じかも知れませんが……かかる時間はこの際置いといて。楽しいからこそ、という長さです。伝えよう、と思うとあれが必然的な長さというか、なんというか。だから、自分が感想を発する事に関しては別段なにも思ってない――んじゃないかなぁ。ただ、押しつぶされそうではあるんです。

 あの、掲示板の雰囲気には。感想を書く側として、ね。

 言葉にするのは難しいな……。
 以前もいつだったかに零した覚えがあるのですが……うーん。
 あそこでは今、感想を書かれる方が少数派ではないですか。だから自分が記事を書くとなんか……悪目立ちしそう、というか。デジウェブ掲示板最盛期なんかには誰がどの掲示板に書き込んだか、把握しようとしても大変そうな様子だったんじゃ――なんて、結構前のログを漁った時なんかに思いました。だから、「普段書いてる奴がぽっと書かない時」があっても、多くの人には分からないというか。
 もっと気軽に、「これ凄え!」と思ったから――と感想を書く。違うな……うーん。
 兎にも角にも目立つ様に感じるのですよ。今のNEXTは、感想を書いても、書かなくても。
 感想を書くのが当たり前――なんて思われてしまった方は、たまたま書かなかったら「読み飛ばされた」と思われしまう事もあるようですし。違う。その姿勢を糾弾したいって思考がある訳ではないのですが……。
 ……感想を書く者は、感想製造機じゃないです、とは言いたい。
 こりゃ、まったく自分の中での――気しない、と言えば気にしないで済むし。逆に気にするからこそ気になる事だとは思うのですが。返信のない記事ってば、自分は気になるのです。だからこそ、自分は殆どの記事に感想を書こうと心がけている。という思想が、ない訳ではないです。
 全て、という訳ではないです。面白いからこそ飛びついて読みたい作品も沢山あります。けれど自分は、NEXTで初投稿された――始まった作品は、順に拝読しております。事務的に、というよりは義務的に、です。自分で自分から、感想製造機になりかけております。
 根底にあるのは、情なんです。時々順番をひっちゃかめっちゃかにしてしまっているのは抑えられなかったからというかなんというか。自分だって人間なんだから我儘になってやろうじゃん、つーのとやっぱりそれってば可笑しくね? みたいな。結局どっちが可笑しいのか分からなくなってしまうんですけれども。
 けれどもやっぱり、全て、という訳ではありません。と言いつつも返信のついていない記事を前に、情で感想を書いている事が無いとも言えないです。前述の通り皆さんもう目を通されていて、「面白い」と表現されないだけなのかもしれない(自分の知っているだけでも、目を通されるだけで表現しない派の方は結構いたりするのは知っておりますが)のに、ねえ……? そういった姿勢はある種失礼かもしれない、なんて迷った時期もありましたが。そこは皆さんにご意見を頂いたので、自分で答を――見つけられたら良いな(弱)

 そもそも、「オリジナルデジモンストーリー掲示板」ってどういった場なんだろう、とか。

 小説の展示場?
 作品を切っ掛けに、交流する場?

 展示をする為だけの場ならば。自分はきっと、感想を書くのはキッパリ止めます。書くか、否か。多分私は、そういう二値的な所があるから。自分が返信していない記事、というのは凄く気になるから。書くなら書く。書かないなら書かない。中途半端は、気持ちが悪い。しかし例えば、「プレジャムメンバーだけ」という枠があればまだ良し――なんて、変な基準を求める理屈屋ですが。私は交流の場として、NEXTが存在して欲しいと思うので。暖かさを感じられる場であって欲しいので。
 そうやって、利用目的を1つに絞るのも可笑しいって分かってんだよ!
 あーもう。
 沢山の人が利用する場じゃない。見る角度で表情が変わったり、昼と夕方と夜とで色を変えたりしたって良いじゃない。

 変えたい人が変えようと行動する。その為に頑張れば良いじゃない。

 とも思うけど、きっと私個人が出来る事はたかが知れています。
 沢山の方が利用される場所だから、だからこそ、なにか取り決めを作って「こうしよう」と義務を作ってしまうのも――違うと思う。
 けれども。同じく「変えたい」と思う方がいらっしゃるのならば。個人個人で動くよりは、纏まった方が絶対に良い。効率だけでなく、精神的にも安心できる。四六時中身構えて張りつめているよりは、背中を任せられる方がいる方が、絶対に良い。
 なによりそう言う描写ってなんであれ格好良(蹴)

 私はそう思った。うん。
 ――けれどもそこで、素直に「おらに力を貸してくれ!」と言えないチキンなのはここだけの秘密。




■追記
 自分が1番言いたかった事を忘れておりました。

 先輩後輩の関係って、あるじゃないですか。
 親子の関係って、あるじゃないですか。

 先輩にはちょっとした時支えてもらったり、両親には育ててもらったりするじゃないですか。
 でも後輩や子供は、その恩義を返さないじゃないですか。
 少しは「気持ち」として返しても、そのご本人に全て返す事はないじゃないですか。前奢ってもらったからここは俺が出しますよなんて言ったら、冗談めかして断ってくれたり。両親にだって、生まれてから成人するまでにかかった食費教育費その他諸々なんて絶対に全て返せませんよ。
 けど、今挙げた事って結構「それが当たり前」だったりするじゃないですか。先輩だって両親だって、返してもらう事を前提にする訳じゃない訳です。けれど、自分達だって貰ってばっかりだと言うと違う訳です。
 自分達だっていつか「先輩」になったり「親」になったりして、後輩や子供に返すんですよ。自分が貰ったモノを、今度は自分が受け渡すんです。

 自分が言った「情で書いている」というのは、こういう事も意味して言いたかったんです。記事を書いていた時は上手い表現が見つかりませんでしたが。

 だから、もう少し。
 NEXTには、情があったら良いと言いたかったんだと思うんです。私は。
 だってそうじゃないっすか。今返さなかったら自分達ばっかり貰ってばっかりじゃないですか。私が言いたかった「暖かい雰囲気」、というのはこれなのかもしれないです。新人さんに対して、もっと反応してあげましょうよ。そしてお互いに反応し合いましょうよ。御近所付き合いだって大事だぜ? 大事なんだぜきっと今のご時世だからこそ?
 違う、かなぁ……。

 しかし、「あの時支えて下さった皆さんのお陰で、今の私がある」事は確かです。
 そして今、私は受け取った「嬉しい」のバトンを、今皆さんに渡している最中です。けれども、それは貴方に次の方へと渡して頂けない限り、「リレー」には成りえません。
 私が感想を書いた事で……少しでも嬉しいと思って下さった方は、私の作品にではなくとも、他の方に感想を書いて下さったら嬉しいです。貴方の感じた「嬉しい」を、少しでも他の方に繋げて行って下されば――私は、それ程嬉しい事はありません。






 あー……っとそうね。なんというかあのね。
 真面目に語っちゃったらオチはどうボケれば良いか分からなくなったんですがどうすれば(終わりなさい)
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